とある猫の病気・死期・最期。精一杯のありがとう、さようなら。
2020年2月21日、飼い猫のミミが天国へ旅立ちました。誕生日は5月14日でしたので、まだ10歳と9か月でした。
私にとってミミはかけがえのない存在でした。
ブログでこれを公表することは、ミミの死を認めて、受け入れるという意味もあります。
大好きなミミの生きた証を文章にして残しておきたい気持ちがあり、記憶が鮮明のうちにここに記します。
これから死にゆくペットを見送る心の準備をしたい方にも有益な記事になればと思い、またミミとの最後の時間を思って記します。
これより先は病魔と対峙し、最後の最後まで諦めずに一生懸命戦った猫の死に関する内容を含みます。
かけがえのない1つの命を私たち夫婦が看取るまでの最後の回想録でもあるので、辛い描写もあります。
不快に思う方は読まずにタブを閉じてください。
ミミはこんな猫だった
お迎えした2014年。キッチンで水飲みを求めるミミ
4歳で里子として迎えたスコティッシュフォールド
ミミは大人しい子で、4歳の時に諸事情により飼育が出来なくなったご家庭から妻が迎えた子でした。
同棲する前に妻が引き取った里子です。
妻いわく、最初の3日くらいは、警戒してベッドの下から出てこなかったと。
それまでは庭先などにも出られるサザエさんのタマのような飼われ方だったようですが、我が家に迎えてからは室内飼いとなりました。
ミミのあだ名
[list class=”li-check li-mainbdr main-c-before”]
- にゃぶ
- にゃみ
- にゃぶろ
- ミミタス
- ニャミタス
- にゃんば
[/list]
必ず玄関でお出迎えするナイスガイ
ミミは死ぬ直前まで家族の帰宅を必ず歓迎してくれました。
”おかえり”のために、足にすり寄ってきてはスーツに毛がびっしりついて困ったものでした。
友人を呼んでも、両親を呼んでも、郵便屋さんが来ても隠れて警戒することなくフレンドリーに顔を出して誰にでも撫でられる良いヤツでした。
しかし、いつまでも撫でられたりされずに距離を置いてくる誇り高き孤高のネコでもありました。
抱っこは苦手で嫌がりました。
人の心がわかる優しいネコ
妻が精神的にふさぎ込んだ時期に、それまで絶対に”寝床は別”派だったミミが寄り添って朝までいてくれたというエピソードがあります。
”寝床は家族と別”を例外なくポリシーにしていた猫がです。(妻が元気になったら寝床派に戻った)
ミミは、本当に辛い状況の仲間には心を寄せてくれる優しい気持ちを持っていたんじゃないかなあと。
少なくとも私たち夫婦にとって、ミミは人の気持ちがわかる猫でした。
水が大好き、とくに流水
好きなご飯はモンプチと猫用スープ、そして何よりもお水が大好きでしたね。
流水からの水が大好きで、毎日お風呂場や洗面所にて水をせがまれたものです。
ミミは水に対してはこだわりが強く、私が家に帰るのを見ると蛇口の前に立ち、1時間だろうと我慢強くこちらに目ヂカラでプレッシャーをかけてくるんですよ。
蛇口から出るお水をゲットするまでお地蔵さんのように動きませんでした。
運動よりも寝るのが好き。どことなく顔はいぶかしげ。
運動については、若くして迎えた頃から少な目でした。
スコティッシュフォールドの中でも、とりわけ大人しい方だったかもしれません。
そして人懐っこい丸いお目目を持っているのに、なぜか表情はいつもいぶかしげ。(ゴハンで甘える時とかだけ本当に可愛い顔をする)
駆けっこしたりがあまり好きではないようで、いつものーんびりしていました。
私の実家でも時折第2の生活拠点として預けていたので、母も父もミミを可愛がってくれました。
その後捨て猫を迎えた両親のLINEアカウントの写真は、いまだにミミのままです。
ビニールひもで一緒に遊んでいるミミ
死期が来る前に起きていたこと
7歳くらいの頃からでしょうか、思い返してみると既にミミは老化が始まっていたように思います。
早ければ7歳からシニアと言われることもあるようですが、うちのミミはあっという間にシニアになりました。
[list class=”li-check li-mainbdr main-c-before”]
- 運動量が減る(特に9歳の時からキャットタワーに登らなくなった)
- 毛並み・毛艶が悪くなる:ちょっと使い古した毛布みたいに
- 毛づくろいをしなくなった
- 寝る時間が増えた
[/list]
この時点では私も妻もミミはもっと長生きしてくれるものだとばかり思っていました。
一時期は5.5キロくらいあって小太りだったのを、7歳くらいからおやつを辞めて過食を防ぎました。
甲斐もあって、4キロ代で体重は安定しました。
同時期くらいにゴハンも獣医師先生のアドバイスに従い高級なロイヤルカナンにしました。
(決して暮らしが豊かではない我が家にとっては大きな決断でした)
2020年になるまでは老いを感じさせつつも病気や体調不良になることもなく、ミミは穏やかなシニア期を過ごしていたはずでした。
病院に行くことになったきっかけ
夜鳴き
ここから病院で治療を受けるまでの直前に、たまに夜鳴きをするようになりました。
しかし、これは以前もしていたのでミミの出した体調不良のサインを見逃してしまったのです。
2020年1月の事件。
[list class=”ol-circle li-accentbdr acc-bc-before”]
- 緑色~黒色っぽい吐しゃ物を含む嘔吐
- 急に瘦せた:1kgも短期間でやせていた
- 便秘で苦しかったのか、はじめてミミがトイレ以外のところで粗相
[/list]
2019年1月19日、私は帰宅してミミの異変に気付きました。
ミミはトイレが汚れてるから掃除して欲しいということを伝えるため、わざとトイレ以外のところに粗相をするくらい頭の良い猫でした。
トイレが汚れていないのに、賢明なミミがトイレを失敗するはずがありません。
ふらつくミミを抱っこして、汚れたお尻を拭いている時に私は急に死の予感に襲われました。
動物病院に連れていく前に、”ミミはもう長くない”と直感しました。
不幸なことにその直感は当たりました。
説明を受けた異常部分と病気は以下のとおりでした。
[list class=”ol-circle li-accentbdr acc-bc-before”]
- 心臓の異常:心筋症(治らない)
- 腎臓の異常:尿毒症(治らない)
- 肝臓の異常(数値がとても悪い)
- 甲状腺の異常(数値がとても悪い)
[/list]
すでに重度のレベルであって、末期の症状に近いのは明らかでした。
出された薬は4種類もありました。
体調が回復してきたら、薬は5種類になるとドクターは私たちに伝えました。
点滴を受けて痛々しい様子を見た時に、私は過去にミミが爪に肉球が刺さって膿が出るほどのケガをしたことを思い出しました。
たまたま爪切りの時間に発覚したのです。
ミミはそれでも耐える非常に我慢強い猫。
ミミの異変サインに気付いてあげられなかったことを大変悔やみました。
妻はそれでも楽観的だったのですが、私は近いうちに来るであろう愛する飼い猫の死にどう向き合うか考えていました。
晩年のミミ。まん丸おめめが可愛かった。
最後の数日間の行動・サイン・様子
帰宅時、お迎えに来なくなった
足腰が弱くなってしまって、迎えに行けなくなったということだと思います。
ミミはそれまで一緒に過ごした6年間、毎日「おかえり」してくれました。
たとえ私が仕事で午前3時に帰ってきても、欠かさずでした。
ミミの「おかえり」の信頼度は鉄板。
私たち夫婦はお迎えに来れなくなったのはよほどの状況なんだと覚悟を迫られました。
私のいつも座っている椅子に静かに寝転がっていて。
この頃は、撫でれば尻尾で好意的な返事をしてくれました。
目つきが険しくなった
今思えば、ミミが亡くなる1か月前くらいから目つきが変わっていたような。
状態が一時的に良くなると、目つきもある程度戻ります。
これは重い病気と懸命に戦っているからこそ、目つきにも変化が出るのだと私は解釈したいと思います。
強い匂いがするようになった
今まではしなかったお肉がちょっと悪くなったような、良くない匂いがするようになりました。
口臭ではありません、お尻が臭いわけでもありません。
一番撫でられてキレイな頭、あご、背中どこも同じような匂いがするようになりました。
頭だけを撫でていても、その匂いが手につきました。
猫用シャンプーウェットティッシュで拭いても拭いても匂いは変わらず。
亡くなった人の匂いに近いものです。
急に1日だけ元気になった(エンジェルタイム)
無くなる2日前、ミミはシーバのウェットフードを2袋も食べたのです。
すでに健康な時期の半分くらいしか食べられなくなっていたはずなのに。
妻は元気になったかもしれないと笑顔を見せました。
その日は元々の飼い主さんのご家族が心配で会いに来てくれた特別な日でもありました。
ミミにとって、6年ぶりの再会ということになります。
ミミは多分、私たち夫婦の会話から次の水曜日が特別な日であったことを知り、なんとかその日までは生きようと戦ってくれたのでしょう。
何より、私たち夫婦の唯一の共通休日は水曜日です。
ミミはそれをいつも知っていたのかもしれません。
本当にミミは立派なヤツです。
亡くなってからこの様子を振り返ると、エンジェルタイムなるものであると知りました。
参考リンク:猫は死期が近づくと姿を消すのは本当か エンジェルタイムの重要性
ゴハンも水も飲まず食わずになった
亡くなる前日から、一転して何も摂らなくなりました。
その前の日は、ペロリとシーバを2袋もいったのに。
身体が冷たくなってきた
ミミの後ろ足が冷たくなっていることに気付きました。しっぽも冷たい。
なんとか歩くことは出来るのですが、ほとんど寝てばかりいます。
ミミが天国に行った当日は、全身が冷え切っていました。
力強い夜鳴きをした
ミミにとって、夜鳴きは毎晩するものではありませんでした。(気が向いたら?)
それが亡くなる前日と2日前、久しぶりに大きな声で鳴いたんです。
夜鳴きする場所は決まって玄関前でした。
近寄って来て一緒にいてくれた
数日前から、家でくつろいでいると気付いたら近くにミミがちょこんといるんです。
いつもは来ないのに。
死ぬ前日なんて、私と妻に、交互に近くに寄ってきたり。
黙って大人しく抱っこされたり。
今までもそういうことはありましたが、ゴハンとお水が目的でした。
それとは違います。
間違いなく、私たちの近くに居たいから居てくれたのです。
死期を悟ったミミの、精一杯の「さようなら」だったに違いありません。
普段よりも、長い時間いてくれました。
「そろそろ寝る時間なんだよ」とミミを寝床に移すと名残惜しい感じがして・・・
いつもより優しくミミの頭を撫でました。
時間がここで止まれば良いのに。
最後の約束
ミミは2月20日の深夜に、苦しそうに吐きました。
でも、前日にお腹を空っぽにしていたのか飲んでいた薬しか出ません。
吐いた薬の上に、そのまま倒れこんだミミ。
明らかに息も弱くなっていて、このまま逝ってもおかしくないようでした。
私はミミにお願いをしました。
「朝まで頑張ってくれ。朝になれば、〇〇〇(妻の名前)も起きるから。〇〇〇が起きるまで、それまで頼むから生きていてくれよ」
一番辛いのは、仕事中にミミが逝ってしまうこと、2人が寝ている間に逝ってしまうこと。
ミミが天国に行く瞬間まで、できる限りの愛と感謝の言葉を伝えて寄り添ってやりたかった。
まだこの時には心のどこかで「朝が来て先生に診てもらえば、もう一度復活するかもしれない。」という希望も僅かながらにありました。
私はミミにひたすら声をかけて撫でました。
ミミはそれから1時間くらい吐き気があるようで辛そうにしていました。
いきなり深夜2時くらいに妻に近寄っていき、寝ている布団の上に丸まったのです。
これがミミの妻への最後の添い寝でした。
しばらくして寝床に戻って眠りについたのを確認し、私は寝てしまいました。
起きたら、寄り添ってくれていた
起きたらミミは枕元の隣にいました。
ミミは私の約束を立派に守ってくれました。
もう下半身は動かなくなっていたようで、肛門が緩んで少しウンチも落ちていました。
そんな辛い状況なのに、ミミは寝床から前足だけで這って私の枕元の左脇に来てくれていたのです。
きっと、昨日の私との約束を果たすためにです。
こいつは本当良い男だなあ、こんなに一生懸命約束を守って。
ありがとう、ありがとう。
涙が止まりませんでした。
魂の叫び
男の約束を守ったミミは、いつ逝ってもおかしくない状態でした。
お腹が大きくなったり小さくなったり動くのを見て呼吸を確認していたのに、だんだんとお腹が動かなくなりました。
交代でミミを見守りながら支度して、9時から開く動物病院へ向かう準備をしていました。
しかし同時に、私はここ数日悩んでいたこと・・・
ムリに治療を長引かせず、家で看取ってやる方が良いのではないかとも思っていました。
欧米では苦しませたくないという想いから、ペットの安楽死が一般的になっているようです。
苦しませたくない、でも長生きして欲しい。
死期の来た猫にとって決して混ざり合えない、相反する思いを抱いてました。
そして、目前に選択の時が来てしまった。
妻がミミを抱きかかえて2人でキャリーバッグへ入れようとした瞬間
ミミは過去に聞いたことがないくらいの力強さで鳴いたんです。
”ミャアーーーーーーーーーーーーーーー!!”
ミミが動物病院に行く前にこんな風に鳴いて嫌がったことはありません。
「動物病院に行かないよ、ここでボクは死ぬんだ!!だから一緒にいて。」
この解釈はあくまでも直感的なものでした。
でもミミは確かにここに居たい。ボクのお家で死にたいと伝えてくれたのだと思うのです。
私は妻に言いました。
「ミミは病院に行きたくないって言ってる。ミミは慣れ親しんだこのお家で死にたいって俺達に伝えてくれたんだよ。ミミの気持ちを汲んで2人で看取らないと。」
妻も覚悟を決めたようでした。
隅っこに隠れようとする
ミミの呼吸は次第に小さくなっていきました。
ずっとミミをさすって声をかける妻の前で、ミミはいきなり妻の化粧机の下にかろうじて動く前足だけで這っていったんです。
そこでは狭くて2人で看取ることができないので、ミミが大好きだった日向ぼっこができる窓際に移しました。
ミミも最後の場所に納得したのか、動こうとはしませんでした。
ミミは最後に天使の顔をして天国に行った
ミミが大好きだから、ずっと名前を呼びながら大好きだよ、大好きだよ。一緒にいてくれてありがとう、ありがとうと何度も呼びました。
何回も何回も、ミミのことを呼びました。
ずっと2人で身体と頭をなで続けました。
「ミミ!!」
意識は朦朧としていて息もほとんどしていません。
それでも名前を呼んだときだけ、尻尾を少しだけ動かして返事をしてくれるんです。
ミミは最後まで天使のようなヤツでした。
10時になる前に、ミミは呼吸をやめました。
小さく瘦せたミミの胸に、何度か妻が心臓の鼓動を確認しました。
それもだんだんと小さくなって、何度か苦しそうに「カッ」「カッ」と咳をしました。
ミミの大きな可愛い瞳が涙でうるうるしてきて、瞳孔がちょっとずつ大きくなってきて、ミミは動かなくなりました。
その時のミミは、目がきゅるんとしていて可愛い顔をしていて。
さっきまでの病気で苦しんでいた顔ではなくて、本当にかわいくてかわいくて、仕方がなかった。
あんなに苦しそうにしていたのが嘘みたいに、里子に来てくれた時の可愛いミミの顔でした。
朝日の暖かい光を受けながら—————
ミミは虹の橋に行きました。
ミミは”だれでも不動産”の中で生き続けます
天国に行ったミミですが、ブログの中で大活躍していることをまだ伝えていませんでした。
これは失敗したなあと。
正直者の彼なら、「はい」か「いいえ」が顔に出るので聞いておけば・・・
ミミは、私たち夫婦の大好きな家族です。
人生の良い時も悪い時も、ずっと一緒にいてくれた友達であり、家族。
こんな出来の悪い里親でも、彼は死の直前まで信頼し、近くで寄り添ってくれました。
ミミは死ぬ最後の瞬間まで生きることを諦めませんでした。
たとえ腎臓がボロボロになっても、あごの傷が治らなくても、足元がふらついても、心臓が働かなくなっても。
死と戦った姿を通して、ミミは私たちに生きることへの勇気を最後にプレゼントしてくれました。
ミミは動物病院に行くことを拒否し、キャリーバッグに入ろうとしませんでした。
ミミは死に場所を自分で決めました。
いつも過ごした大好きな自分のお家が良いと思ってくれたのです。
死ぬ瞬間まで、2人で看取ることのできるよう、考えてくれたように思えてなりません。
ミミはとても利発な猫だったので、当サイトに必要です。
天国からサイトにこれからも登場してもらえるよう、ミミにお願いをしました。
ミミはこれからも、このサイトの中で私の想いと共に生き続けます。
ミミ、君と一緒に生きれて良かった。ありがとう。